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Matsuo Basho 1644~1694

The only substantial
collection in English
of Basho's renku, tanka,
letters and spoken word
along with his haiku, travel
journals, and essays.

The only poet in old-time
literature who paid attention with praise
to ordinary women, children, and teenagers
in hundreds of poems

Hundreds upon hundreds of Basho works
(mostly renku)about women, children,
teenagers, friendship, compassion, love.

These are resources we can use to better
understand ourselves and humanity.

Interesting and heartfelt
(not scholarly and boring)
for anyone concerned with
humanity.


“An astonishing range of
social subject matter and
compassionate intuition”


"The primordial power
of the feminine emanating
from Basho's poetry"


Hopeful, life-affirming
messages from one of
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Through his letters,
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Home  >  Topics  >  芭蕉について日本語の論文  >  J-01


芭蕉における女性像

平穏な日本の日常に生きる女性の4人

Legend:
Words of Basho in bold
Words of other poets not bold

偉大なる17世紀の俳人松尾芭蕉は、200年前のレオナルド・ダヴィンチと同様、女性を描写することにその身をささげた。芭蕉は女性の生活や意識をたたえる歌や散文を多く書いている。シェークスピアの中の女性たちはどれも男性のパートナーとして記されているが、芭蕉の中では女性は自立し、または他の女性とともに「女性たちの聖像」-彼女たちより偉大ななにかのシンボル-として存在する。


芭蕉の女性描写の多くは、男性の学者からは無視され、またそれらの女性的な側面は過小評価されてきた。たとえば、有名な旅行記「奥の細道」(A Narrow Path in the Hearthandsと呼ぶ)を通して、何度も何度も女性には焦点が当てられているが、この面についてさらに探究する学者はいない。今ここにまとめそして出版を望むこの本は、亭主関白の男性たちからは受け入れられないかもしれない。

 

ここで、芭蕉の俳句に登場する4人-17世紀の平穏な日本の日常に生きる4人の女性―を紹介するが、彼女たちはその手や腕でこの当時の日本女性の基礎的本質(本意)をどうにかして発揮しようとそれぞれが行動を起こしている女性たちである(俳句を読めば私のいう意味がわかるだろう。俳句そのものは‘スケッチ画’のようで、何本かの線描と空白のスペースから成る。私たち読者はその空白を自然、人間、日本社会、日本語、そして他の芭蕉の作品の研究に基づいた想像力によって埋めていくのだ。それぞれの俳句の下の解説は優れた芭蕉研究者、今栄蔵氏の「芭蕉句集」(全発句集)に基づいて、それぞれのスケッチの背景を挙げる。この背景から、解説は絵を完成させる一つの道筋をたどる。さあ出発だ、私たちと一緒に?それとも自分自身の道を見つけて?


 

 

粽結ふ
片手にはさむ
額髪

 

芭蕉句集(今榮藏著 新潮日本古典集成) 704番

 

粽結」というのはペースト状にこねて丸められた(餅)、または粉に挽いて生地にされたコメだといえる。大豆の粉(きな粉)やテンサイ糖等が甘みをつけるのに加えられる。笹の葉でくるまれて粽₃として知られているタイプは元々(中国で)陰暦の五月五日(この句が書かれた1691年は太陽暦で六月一日にあたる)の端午の節句のお祝いのために作られたものだから、粽によってこの句は梅雨入りどきの蒸し暑さの中の句だと決められる。(この祝日は天候のより快適な五月五日のこどもの日として制定されている。)

 

‘ひたい髪’は前髪という意味ではない。日本女性はしばしば、源氏物語でも現代でも同じように、前髪を切らずにサイドに分けており、顔の両側には勝手に髪が垂れてくる-モナリザに見られるように-ので、必要な場合は背部で結ぶ。‘Ear’(耳)という語は日本語の原文には出てきていない。はさむというのは‘間に入れる、置く’ということで、この場合、今氏によると、髪の束を耳と側頭部の間に入れ込むことをいうので、ここでは’’tucks hair behind ear’’と訳した。

子どものためにおやつを用意している母親は、桶いっぱいの餅の前にかがみ、円錐形にした生地を笹の葉でくるみ、イグサの糸で結ぶ。髪が汗で濡れると、後ろで結んだひもから髪がゆるくなって顔の前にパラパラと落ちてくる。指や手のひらはべとべとのカスで汚れている。その人は考えることなく、またペースを乱さずに、汚れていない親指の上と手の側面を使って-髪は何も汚さずに-耳の後ろにはさみ上げる。

 

髪を長く伸ばしている女性はどこの国でもいつの時代でも、このデリケートで細やかな、手の側面で耳に髪を挟むという本当に女性的な動作をするのだ。女性でも男性でも、髪が長かろうと短かろうと、手のこの動きは、芭蕉が私たちに見せてくれたものをまさに思い出すだろう。これこそ芭蕉のモナリザであり、もっとも優美な隠された女性像である。このような瞬間を女性の日常生活の中から繊細に精巧に描きうるのは芭蕉だけなのだ。


花によえり
羽織きて刀
さす女

 

芭蕉句集, 135番

 

よえりは酔っ払ったような揺れる音である。

 

私は真ん中の4拍をこのように詠んだ。芭蕉の前書きは、今日でもお花見でなお有名な上野と同じ場所で花見の宴があったことを教えてくれる。現代において花見がどのような催しか考えると、その光景を想像することができるだろう。

江戸の庶民的な女性は毎日の労働がたいへんで、上野公園での年に一度の桜の下でのピクニックはその年の数少ない楽しみの一つであった。日本女性は特に上半身が痩せていて、着物を着ているとそれが強調されて見える。この女性は、もちろん飲み物もあるだろうが、彼女をとりまく桜の花、木の上の、空中に舞う、地面に散ったその美しさで酔いがまわったようだ。社会的な抑制をかなぐり捨てて、彼女は大胆不敵にたちまわっている。宴会仲間の男性の一人から芯入りの羽織を借り

 

(芭蕉の時代に女性は羽織を着る習慣はない)、それを着て、胸、肩、腕に詰め物をして男のように見せかけている。この宴会に侍はいない(士分を捨てた芭蕉は別にして)から、刀などもないが、何か長くて細いものをみせかけに持っている。日本人は、腰の周りに巻かれた錦の帯に、‘刀’をさすという。そうして、ご存知

「ほーら、男ども。私の刀みてごらん、長いだろ!」

と周囲を大爆笑に巻き込む。

 

文化人類学者ルース=ベネディクトは1946年の著作で団体の中???の女性について、「女ざかりの年頃になると禁制をかなぐり捨て、もしそれが生まれの卑しい女であるならば、男に引けをとらぬくらいに淫らになる」₄と言っている。すみませんが、先生。あなたは生まれが卑しい?そして、女ざかりの年頃でいらっしゃる?

 

声澄みて
北斗にひびく
砧かな

 

芭蕉句集, 352番

 

綿もウールもなかった頃、日本の村々では女性は家族のための衣服をチクチクする麻や楮(こうぞ)の樹皮の繊維、または葛の根、藤のつるなどから作っていた。繊維を縒って糸にし、簡易的な機織で糸を編んだ。このような生地は硬く手触りが粗いので、縫う前には、砧つまり布打ち台の上で、布をやわらかくするためにトントン叩いたのであった。初期の砧は石だったが、次第に木製が一般的になり、台座はデザイン的にもすぐれ、この図では二人の女性がおたがいにおしゃべりし(不平をこぼし)ながら砧を打っているのが分かる。綿にしろ、紡いだあとに布目の縮充が必要だった。18世紀からは織物工場で機械で紡がれた最初から柔らかい生地が作られはじめたが、しかし、日本では20世紀初頭にいたっても、女性はこの作業をしていたのだ₅。

 

この音はどこの村でも聞くことができたが、冬に向けて生地を衣服に仕立てる前の秋ごろは特に多かった。働きながら女性たちは人生の幸せや惨めさについて思った-死んでしまった両親のこと、そして、どこに行ってしまったにしろ、帰りを待っている夫のこと-。能の演目「きぬた」によって、砧打ちそのものが「出張で」都に行ってしまった夫に残された女性の惨めさのシンボルとされた。

 

日本の詩歌にはしばしば月が見られるが、しかし、月というものは、ジュリエットが言うように「不実な」ものだ。彼女はロミオの愛が「あんなふうに変わっては大事だわ」と恐れる。芭蕉もまた、この地上から響く声のために、夜空にある地球上の何か不動のものが欲しいのだ。北斗星をおいてなお不変のものがありえようか。それはどこにあろうといつでも、変わらぬあの北極星を指す。まさに女性の不変性と献身さにぴったりのシンボルである。地上で衣をうつ小さな棒から、何万光年と離れた星へと澄んだ音が生み出されて、北斗星にとどく、打ち台で衣を打つその女性の心はとてつもなく純粋なものにちがいない。

 

飯あふぐ
かかが馳走や
夕涼み

 

芭蕉句集, 881番

 

あの不快で汗だらけの日中がようやく涼しくなってくるちょうどこの感じ。馳走は原義的には‘おもてなし’であるが、日本人ならだれでもこの言葉は「ごちそうさまでした」という食べ物を用意してくれた人への感謝を表す一般的な日常表現の一部であるということを知っている。‘かか’は年配のご婦人を表す粗っぽい言葉で、40年も連れ添った‘とと’は妻をこう呼ぶかもしれない。いなか言葉であるこの句では、適切な‘has’の一語が省略されている。現代の優れた芭蕉研究者である今栄蔵氏は芭蕉の言葉に隠された風景がこう見えると教えてくれる。

 

「嚊かかあは炊きたての熱い飯を、渋しぶ団扇うちわであおいでさましている。乏しい食膳しょくぜんだが、野良のらから戻った亭主は、愛妻のそんな心遣いを何よりの馳走と、褌ふんどしひとつで涼みながら飯を待っている。」


今氏は、これは愛の歌だと明示している。もちろん、愛の探究の始まりにいる若者のそれではなく、年老いた夫婦の愛のである。この二人がどのくらい老いぼれて、貧しくひっ迫しているかを嘆くことより、今氏の洞察力における芭蕉は愛を与えられ感謝するという満ち足りた平穏な感情に焦点を当てているのだ

ライチホールド氏は、明らかに馳走という言葉の感謝の心を理解していないと思われるのだが、この句を以下のように表現している:  Boiled rice slop / his old lady fans the treat / with evening coolness₆

 

‘Boiled rice slop’ というひどく汚らしい言葉と‘his old lady’という軽蔑的口調が、満ち足りた平穏な感情を台無しにしてしまった。氏は飯が‘‘ご飯の下品な言い方’‘であると言及する。キトリッジ=チェリーは嚊かかあが‘女性を侮蔑する卑俗な’語であるという₇。そうではない。祥子さんは日本語を母語とし、認定された日本語教師であるが、彼女は飯と嚊かかあはこの質朴な風景に合うくだけた言い方であると明確に言う。そしてまたこの句が愛の詩であることに肯定的だ。

 

注釈

 

1 芭蕉が書いた短歌で現在分かるのはたった二句のみである。1つは生まれたての女児に、もう一つは弟子の羽紅

宛てである。

2 祥子は俳句をどのように音符に表すかを見せてくれた。他の音楽家によると、違う拍子でも可能であるが、4拍子で3小節というのが標準的であるということだ。別宮貞徳著「日本語のリズム」には、俳句と短歌が小節の頭と最後に

休符をおきながらこの四拍子で測られているのが確認される。詳細はLayers of Heartにて論ずる。

3 粽(中国においてはZongzi)はしばしは‘rice dumpling’と訳されるが、日本では伝統的に円錐形をしている。新編日

本古典文学全集70巻,371?、及びWikipedia:Zongziを参照。

4 Benedict, Ruth. The Chrysanthemum and the Sword, Tuttle 1946, p.285 (日本語版 長谷川松治「菊と刀」より)

5 日本での綿以前の繊維及び衣服が輸入されていたことについては、「Daily Life in Early Mordern Japnan」(2001),The Greenwood Press,p89,179を、日本語による更なる詳細は

http://www223.big.or.jp/~lereve/saijiki/131-2.htmlを参照。

6 Reichhold, Jean. Basho the Complete Haiku, Kodansha 2008, p.222, 262 and 386. (この本の翻訳及び解釈の幾つかには少なくとも疑わしい点があり、また日本人の校正者によって校閲されておくべきであるような公然とした誤りがあるということを特筆しておく必要性を感じる。)

7 Cherry, Kittridge. Womansword- What Japanese Words Say about Women, Kodansha International 1987/01, p.71






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